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楽水庵ブログ スルーして下さい(笑) 楽水庵暇ネタ: 2017年6月

「叱られてきたからこそ、若い世代を叱るのが恩返し」

こんにちは、楽水庵です。
いつもとは趣が変わった内容になります。

最近また大学生と接触が多く、結構叱る事が多々あります。
こういう話題を少し前にレース会場で指導者の方々と話している時に、「最近ではもう叱る事を諦めた」とか「いつかは判るだろう」とか「自分達も若い頃はたいがいだったからな~」という意見を聞きました。

しかし、違うと思います。
叱ってもらったからこそ、今の自分達があるのです。
その時は判らなくとも、時間が経てば判る事がほとんどです(もちろん、中には理不尽なものもありますが)。
時間が経たなくては、またもっと体験を摘まなければ理解できないものもあるのです。

それを叱るのを諦めたらどうなるでしょう?
「いつか判る」というのは幻想です。
叱られた事がない人は歳をとっても判りません。
詳細は書きませんが、そういう次第でお引き取りを願った56歳の女性がおられます。
「誰かに叱られた事がなかったのですか?」と尋ねると、「親以外に叱られた事がない」との答え。
「おそらく面倒くさいから皆離れていって、周りには同じような面倒くさい人しか残っていないのだろう」とうちに来られている方々が説明してくださりましたが、おそらくそうでしょう。
ちゃんと叱られた事がない人はこうなる運命になる事が多いのです。

現在付き合いがあるのが国立大の学生が多いのですが、おそらくあまり叱られた事がないと見受けられます。
また、親御さんはだいたい私と同世代になりますが、現状で国立難関大学に入れる子の親御さんも優秀な方が多いようです。
そういった方々はあまり叱られる事無く育った為に、ある意味判らずに親になられたとも言えます。
だからこそ叱られてきた自分達が、代わりに叱ってあげる事が必要だと思います。

叱ると言っても怒鳴る事ではありません。
感情的に叱っても反発を受けるだけでしょう。

冷静に道理を言えばその場で理解してくれる事もあるし、もしその場で判らなくても、我々がそうであったようにある程度年齢がいったら判ってくれると信じています。
ですから、叱る事を諦めてはいけないのです。


楽水庵

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