楽水庵ブログ
「全日本の決勝で漕いでいるつもりで」
こんにちは、楽水庵です。
これから書く事は私ごときの漕歴では本当恐縮然りなんですが・・・
先日中日本レガッタでブースを出していた時の事。
どこの高校かは覚えておりませんが、足底を攣った男子がやってきてその子の仲間達と攣らない為のエクササイズをアドバイスしていました。
そんな中、向こうが「回数は?」と聞いてきました。
最近C2サーキット等ボート選手の間では筋持久力のトレーニングが盛んで、彼らもそう考えて聞いてきたんでしょう。
しかし、私は彼らがそのエクササイズをできる回数なんて、まずやってみないと判らないと思っています。
それを最初から「回数、回数」と聞くので、思わず「ホンマ、ボートの連中は回数、回数ってアホばっかりや」って言ってしまいました。
もちろんそんな発言を私がしたので、彼らは怪訝な顔をしていました。
その前に私が昔ボートを漕いでいたなんて彼らは知っていませんでしたし。
そこで、実は全日本のクオドルプルで優勝した過去がある事、全日本の決勝には2回出てそのどちらもありがたい事にメダルをもらえた事を話しました。
彼らもテーピングブースにそんなおっさんがいるなんて思ってもいなかったのでしょう、ビックリしてました。
そして彼らに、
「全日本の決勝って良いよね、日本最高峰のレースの決勝やもん。なんか失敗したらなんて思う事もないし。ただひたすら『やってやろう』と思うだけ。君らもこれから出るレースを全日本の決勝と思って漕いだらいいやん。」って言いました。
思えば確かに全日本の決勝で漕げた事はやはり幸せでした。
そして、おそらくですがアドレナリンだけではなく「ドーパミン」も出ていたのではないかなと感じます。
その幸福感が動きを良くしていたのでしょう。
予選とかでは結構チョンボしていましたが、決勝では自分なりに最高のパフォーマンスを出せていましたから。
故古川 宗寿氏(アトランタ五輪監督)とは結構一緒に漕いでいましたが、大抵レース中やゴール後に怒られてばっかりだったと記憶しています。
しかし、全日本でクオドでゴール後に古川氏が私の肩を叩き、「よくやった!」と握手を求めてきてくれました。
今思えばあれが私のボート人生で最高の瞬間だったのでしょうね。
もう一つあったとしたら、81年の京都レガッタで生まれて初めてエイトに乗り(7番)、東レに逆転で勝った時でしょうか。
前半リードされていてたのですが、後半まさに「飛んでいる」という気分になって漕ぎました。
今と違い、木のオール・艇でエイトで1,000m3分を切れれば上等という時代に、若干追い風でしたが(それも当日瀬田RCと浜寺RCが初めて組んで)2分57秒9でゴールしたのです(ちなみに東レは2分59秒)。
その後の宴会ではもう何が何だか判らなくなりましたね(笑)
余談でしたm(__)m
まあ、先の高校生達の話に戻って、もう一つクルーは、特に4人漕ぎぐらいだと一番弱い選手のレベルになるという話をしました。
自分がそれで苦い思い出があるからです。
80年春先に瀬田RCで付フォアに乗っていました。
私が漕いでいる時は朝日レガッタや中日本レガッタで決勝進出がやっとのクルーが、国体の登録の事もあり私と長谷(信行)さんが乗り代わったら国体優勝です。
如何に自分のレベルが低かったのか思い知らされました。
だから、その足底をよく攣る子に少し酷でしたが、「君が足を攣って他の仲間に迷惑を掛けたらイカンだろう。だからしっかり教えたエクササイズをやるんやで」と言ったら、彼が「はい!」と大きな声で返事して心なしか目が潤んでいました。
仲間の子達も良い話を聞けたみたいな感じで非常に礼儀正しいお礼をしてくれるので、逆にこちらが面喰ってしまいました。
こちらに戻ってきて、ソフトテニスをしていて子供達に指導もしている20代男性に「全日本の決勝のつもりで・・・」の下りの話をした時の高校生達の反応を話しました。
私 「あんまり大した話でもないんやけどな~」
彼 「いや、聞いていて心に沁みましたよ。今度僕も使わせてもらいます。」
え、やっぱり良い話やったんか!
まあ、こんな事を書いて「お前ごときが何を偉そうに言っている」とお笑いになられる皆様もおられるでしょう。
そして、この「全日本の決勝のつもり」という心掛けを、ハッキリ言ってその後の私人生で活かせているかというと決してそんな事はありませんでした。
しかし、彼らに話していて自覚しましたが、自分も残りの人生をこういう心構えで生きていこうと思います。
「人生残りの20年を素敵に生きる」事を目標にした自分にとっては、非常に大事な事でしょう。
やはり「教える事とは同時に教わる事」ですね。
楽水庵
これから書く事は私ごときの漕歴では本当恐縮然りなんですが・・・
先日中日本レガッタでブースを出していた時の事。
どこの高校かは覚えておりませんが、足底を攣った男子がやってきてその子の仲間達と攣らない為のエクササイズをアドバイスしていました。
そんな中、向こうが「回数は?」と聞いてきました。
最近C2サーキット等ボート選手の間では筋持久力のトレーニングが盛んで、彼らもそう考えて聞いてきたんでしょう。
しかし、私は彼らがそのエクササイズをできる回数なんて、まずやってみないと判らないと思っています。
それを最初から「回数、回数」と聞くので、思わず「ホンマ、ボートの連中は回数、回数ってアホばっかりや」って言ってしまいました。
もちろんそんな発言を私がしたので、彼らは怪訝な顔をしていました。
その前に私が昔ボートを漕いでいたなんて彼らは知っていませんでしたし。
そこで、実は全日本のクオドルプルで優勝した過去がある事、全日本の決勝には2回出てそのどちらもありがたい事にメダルをもらえた事を話しました。
彼らもテーピングブースにそんなおっさんがいるなんて思ってもいなかったのでしょう、ビックリしてました。
そして彼らに、
「全日本の決勝って良いよね、日本最高峰のレースの決勝やもん。なんか失敗したらなんて思う事もないし。ただひたすら『やってやろう』と思うだけ。君らもこれから出るレースを全日本の決勝と思って漕いだらいいやん。」って言いました。
思えば確かに全日本の決勝で漕げた事はやはり幸せでした。
そして、おそらくですがアドレナリンだけではなく「ドーパミン」も出ていたのではないかなと感じます。
その幸福感が動きを良くしていたのでしょう。
予選とかでは結構チョンボしていましたが、決勝では自分なりに最高のパフォーマンスを出せていましたから。
故古川 宗寿氏(アトランタ五輪監督)とは結構一緒に漕いでいましたが、大抵レース中やゴール後に怒られてばっかりだったと記憶しています。
しかし、全日本でクオドでゴール後に古川氏が私の肩を叩き、「よくやった!」と握手を求めてきてくれました。
今思えばあれが私のボート人生で最高の瞬間だったのでしょうね。
もう一つあったとしたら、81年の京都レガッタで生まれて初めてエイトに乗り(7番)、東レに逆転で勝った時でしょうか。
前半リードされていてたのですが、後半まさに「飛んでいる」という気分になって漕ぎました。
今と違い、木のオール・艇でエイトで1,000m3分を切れれば上等という時代に、若干追い風でしたが(それも当日瀬田RCと浜寺RCが初めて組んで)2分57秒9でゴールしたのです(ちなみに東レは2分59秒)。
その後の宴会ではもう何が何だか判らなくなりましたね(笑)
余談でしたm(__)m
まあ、先の高校生達の話に戻って、もう一つクルーは、特に4人漕ぎぐらいだと一番弱い選手のレベルになるという話をしました。
自分がそれで苦い思い出があるからです。
80年春先に瀬田RCで付フォアに乗っていました。
私が漕いでいる時は朝日レガッタや中日本レガッタで決勝進出がやっとのクルーが、国体の登録の事もあり私と長谷(信行)さんが乗り代わったら国体優勝です。
如何に自分のレベルが低かったのか思い知らされました。
だから、その足底をよく攣る子に少し酷でしたが、「君が足を攣って他の仲間に迷惑を掛けたらイカンだろう。だからしっかり教えたエクササイズをやるんやで」と言ったら、彼が「はい!」と大きな声で返事して心なしか目が潤んでいました。
仲間の子達も良い話を聞けたみたいな感じで非常に礼儀正しいお礼をしてくれるので、逆にこちらが面喰ってしまいました。
こちらに戻ってきて、ソフトテニスをしていて子供達に指導もしている20代男性に「全日本の決勝のつもりで・・・」の下りの話をした時の高校生達の反応を話しました。
私 「あんまり大した話でもないんやけどな~」
彼 「いや、聞いていて心に沁みましたよ。今度僕も使わせてもらいます。」
え、やっぱり良い話やったんか!
まあ、こんな事を書いて「お前ごときが何を偉そうに言っている」とお笑いになられる皆様もおられるでしょう。
そして、この「全日本の決勝のつもり」という心掛けを、ハッキリ言ってその後の私人生で活かせているかというと決してそんな事はありませんでした。
しかし、彼らに話していて自覚しましたが、自分も残りの人生をこういう心構えで生きていこうと思います。
「人生残りの20年を素敵に生きる」事を目標にした自分にとっては、非常に大事な事でしょう。
やはり「教える事とは同時に教わる事」ですね。
楽水庵